春を感じて頂き、元気が出る写真を撮って見ました。お楽しみください。↓UP DATE17APR.’11https://picasaweb.google.com/117989532683604273895/By?authkey=Gv1sRgCJGEvOOcsPae0QE#東日本大震災《空港》の被災状況画像が粗く小さかったのでWEB アルバムで見られるようにしました。URLです。↓https://picasaweb.google.com/117989532683604273895/PioqxB?authkey=Gv1sRgCIOLou734uXFqgE&feat=directlink2日間でルートは仙台空港で半日撮影、陸自の霞の目駐屯地(仙台市内)を経由して、航空自衛隊の松島基地に午後2時30分ごろ到着、1泊して翌日に山形空港、そして少しだけ福島空港に寄ってから帰宅しました。2011年4月2日最初の目的地、仙台空港には朝5時ごろ到着し、お昼過ぎまでターミナルや周囲を撮影。ターミナル周辺は復旧工事が始まっていて、すでに立ち入りは難しくなっていました。ので、記者証が役に立ちました。 状況は、ターミナルは1階めちゃくちゃ、2階はそれほどでもない感じで、3階はほぼ無傷でした。それでも、取り残された人の中には死者もあったと聞きます。おそらく水、食料などの救援物資をヘリで届け、道を切り開いてからバスで救出したと思います。確か3日後?空から救出できないほど残された人数が多かった。※ここで感じますのは、地震が起きた時間帯に旅客機が1機もなかったことです。確かにローカル空港は、この時間帯どこでもそうなんですが。でもこの時間帯に地震が発生する、これ不思議です。ここを地元とするIBEXエアラインの被害も機体はゼロなんです。で、予断ですが、同じころ、こちらは関空で帰宅難民やってました。成田ダイバート便5便ほどの乗客の多くもターミナルで1日を過ごしています。UAの乗客が多かった感じです。 松島基地では、ゲートに行き、その後周囲から撮影しました。ここは仙台空港周辺ほど大きな津波ではなかった印象ですがが、基地は海岸線の直ぐ脇ですから、完全にやられている様子。ですが、それでもすでに自衛隊の輸送機の離発着があり、救援物資が届いていました。出発地は埼玉県の入間基地や県営名古屋空港(小牧基地)。災害現場に届けられます。 ところで、ご存知のように、ここではF-2など、戦闘機のトレーナー機などが全部だめになりました。24機。※ですが、これも不思議。ここをベースにするもうひとつの飛行隊、曲技飛行を披露つつ全国を訪問励ますブルーインパルスが、九州新幹線オープンの祝賀飛行のため福岡北部の芦屋基地に移動していて無傷でした。戦闘機は全滅。多くの人から愛されるアクロバットチームは無傷でした。※あの阪神大震災も、新幹線の始発が走り出す少し前に発生、もしもあと15分遅く発生していたら、もっと多くの人が犠牲になっていただろう、と多くの人が言っていました。阪神大震災も大災害でしたが、ここにもある種のラッキーが。 基地近く、矢本の街並みは津波はヒタヒタ進入、床上浸水程度だったようです。続いて、午後4時ごろに同行者(ケータリング会社ゲートグルメに勤める元陸自の彼、今秋初めて予備自衛官として召集がかかっている)がよく行っていた宿に顔を出し、ここで1泊決定。当然いっぱいだったが、その石巻ビジネスホテルを定宿にしていた人がこの日だけ帰郷となり、たまたま1部屋空いていた。ラッキー。実は、ここは同行者の定宿で、その宿の人と連絡が取れないため、宿の人を心配しての訪問だった。が、再開できて、彼も安心。見舞いの金品を渡していた。 石巻の中心街は港から見ると高台にあり津波の影響少ない感じでした。ただし河川周辺は奥地でもかなりやられていました。 その後石巻港へ行ってみました。市街地から坂を下って行くとどんどん被害が大きくなり、港の周辺は未だに津波直後か!という印象。 そんな風景の中で、避難場となっていたのが、おそらく小学校の体育館。しかしそこはまだ避難場として整備中で、米軍が校庭で瓦礫を集めてダンプに乗せ、それが終了したばかりのよう。すでに撤収が始まっていた。そしてグランドの瓦礫は90%取り除かれ、使えるようになっていた。その後、ここを訪問した人はこのグランドで色々展開、慰問をしていると思います。※学校という施設は、このような時に退避、避難場になります。グランドにはヘリも離発着可能なので、物資の供給に実は最適です。また、日ごろも、急患をヘリで輸送する、あのドクターヘリも活用しています。印旛にある北総病院のドクターヘリが、学校の校庭をヘリポートして使うこともあり、この周辺では活躍しています。以前、朝日新聞の記者が”学校の校庭での災害訓練など何の意味もない”という記事を堂々と載せていましたが、それは全くの間違いです。このような独りよがりな記事、朝日新聞には多いと感じています。ただ、全ての記事がそう、ということではないと思いますし、新聞報道がなければ、世の中もっと悪くなってしまうことは確かです。でも我々普通の人は、こういう間違え新聞記事も信じてしまいガチです。ので要注意ではあります。これも余談でした。
2011年4月3日山形空港では、臨時便がバンバン飛んでいました。普段はJエアのCRJ(50席)が数便飛んでいるだけですが、羽田線開設し6便、また大阪線も増便になっています。大阪便はANAも2便飛ばしていますし、名古屋便も開設されています。さくらんぼの里の空港は大賑わいでした。B6やB3といったより大きい機材を見ることができるのは、山型新幹線が開設される前以来になります。 ここにもまたヘリコプターが飛ぶ、自衛隊のエプロンがあり、警察や自衛隊のヘリが飛んでいました。山形空港経由での人員輸送の拠点となているようです。 そして降り立つのはボランティアのてめにやってきた人たち。閉鎖されている仙台空港から100km約の距離で、仙台まで高速道路も通っています。帰りに福島空港に寄りましたが、ここは原発関連の対応のため、ヘリの発着も多いようです。福島県防災ヘリのベースがあり、夕方までフライトがあったようです。他見の防災ヘリも2機も待機中でした。こちらは臨時便は1便だけでした。 感想ですが、テレビの報道よりも、被害地域はかなり広いという印象があります。松島基地の周辺もかなりやられていますが、ほとんど報道ありません。仙台空港の周辺も同じで、空港以外、その周辺の被害は、面積的にはかなり大きいというのが印象です。大きすぎて、ほとんどの人が流されて行方不明であると想像でき、すなわち救援も必要なし、ということなのでしょうが。生き残った被害者がいない、また非難場所も作れない、それほどひどい被害を受けている、ということになります。ですが、火葬場だけは機能していました。そして自衛隊の行方不明者の捜索は続いていました。また高台にある戦没者の慰霊碑の上に家屋が流れてぶつかっていたりもして、痛ましい限りです。当然その場所には今回の犠牲者のための、そして日本全体のための手製の碑が立っていました。またここに6体あったはずのお地蔵さんも全く姿を消していたようです。あんな石のカタマリでも海のかなたに運ばれてしまったのでしょう。 そして励みになるのは、復興はすでに始まっているということです。仙台台空港も、ターミナルは今年中には再出発できるでしょう。でも小型機があったハンガー側はしばらく動かないでしょう。施設の移転もありそうです。 土建国家日本ですが、確かにその力をここで発揮しなくてはならないでしょう。この分野のプロも集まっています。ここ千葉県からも電気設備のプロが支援のため行っていました。大多喜町のガス屋さんでした。 こんなところでしょうか?報道では感情的な意見を述べる人もいると思います。また政治家や東電のトップのあまりの頼りなさにはがっかりさせられます。米軍への救援以来、今回もかなり遅れたようです。菅さんも日本人の命を粗末にしてました。阪神大震災の時の村山内閣とやはり変わらない、非常に悪い北朝鮮寄りの政府です。政治が脆弱な時、なぜかこのような大惨事が勃発するのです。 そしてまた日本の原子力行政、また技術は、海外からの受け売りであって、オリジナルなものではない、ということも今回判明しましたね。日本は所詮かいらい政権下にあって、このような行政も同じなわけですが、せめて自分たちで理解してから取り入れてもらいたいものです。東大の原子力の先生方、研究費と称して東電から年間200億円ももらって、東電の小間使いになっているそうです。ですから”危なくない、大丈夫だ”とばかり発言し、とうとうテレビ画面から姿を消したみたいですね。ですから最近は色々な大学の専門家が登場しています。原発を食い物にする原発村の一員だったわけですね。それでもこの期に及んでこれ、ですか。日本のトップは明治初期から腐りっぱなしなんですね。また、東大教授の排除は、これはTVスタッフの良い判断ですね。ガンバれみんな! ですが、現地の被害を受けた人、そしてその人たちに手を差し伸べる人たちは、本当にすごい力を発揮していると思います。今回は報道陣も本当に良い対応をしてくれていたと思います。テレビスタッフの多くがPTSDになってしまいながらの報道だったそうです。 そう、本当に悪いのは政治家(彼らは言います。投票したのはあなた方一般人だから、責任は全て投票者にあるので、安心して悪事を遂行できるのだ!)を含め、政府関係の日本のトップのやからノミだけなのですから、もういいや、そんなの無視無視。愛情あふれるたくさんの人たちと、その活動に感動しながら、できることをやっていきたいと思います。頑張りましょう。そして冷静でいなければ。乱文でした。